上昌広先生インタビュー 第2回『福島の女児は将来、安全に子どもを産めるのか』

2017/8/17

NPO「医療ガバナンス研究所」の理事長を務める上昌広先生は、2011年3月11日、東日本大震災の直後から独自のネットワークを通じて福島県浜通りの支援を続けておられます。その上先生に、3回に分けて福島にまつわる過去・現在・未来を伺います。

自分はどうすればいいのか、が住民の最大の関心事

上昌広先生が福島県浜通りで支援活動を始めた頃、立谷秀清・相馬市長から寄せられた相談に、「飯館村の菅野典雄村長が住民の健康をどう守ればいいか悩んでいる」というものがありました。
「実は飯館村は相馬市や南相馬市などとは違って、歴史的には新しい場所です。中通から阿武隈高地の一帯は江戸時代から養蚕業が行われ、明治時代には生糸輸出とともに繁栄しました。その頃に明治市制ができたために自治体に大きな権限が与えられましたが、化学繊維の隆盛とともに没落していきました。一方、飯館村は、太平洋戦争後には満州からの引揚者を受け入れ、あの辺りの中山間地のなかでは唯一成功した自治体なのです」
1996年に当選した菅野村長は 、飯館村を活性化させてきました。2003年には父親の育児参加推進プランを策定して少子化対策と男女共同参画に着手。2009年には妻が出産する男性職員を対象に1ヵ月の連続育児休暇制度を導入。その結果、約10年で20家族が移住し、出生率も全国平均を上回っていました。

上先生が菅野村長に連絡したのは2011年5月13日。求められたのは村民の健康診断でも、一人あたり数分の流れ作業ではなく、「村民一人ひとりの話をじっくり聞いてあげてほしい」のが望みでした。福島第一原発に最も近い地域では事故直後に空間線量が毎時30マイクロシーベルトを超える地点もあったため、その地域の18歳以上の村民を対象に、5月21~22日に健康相談会を実施しました。地震医療ネットワークを通じて集まった12人の医師で健診を行ったのです。

「住民の悩みは千差万別です。兼業農家の80代女性は、震災前に服用してきた降圧剤がなくなって、脳卒中を心配していました。家に閉じこもりきりの60代男性は大腸がんの既往があり、放射線を極度に恐れていました。一人ひとりの問題はさまざまなのに、『100ミリシーベルトまでは安全です』などと広報するだけではダメ。じっくり話を聞いて、解決法を一緒に考える姿勢が重要なのです」
この時、国や福島県が進めていたのは、原発事故による健康被害の記録を残すための疫学研究の準備でした。福島県が原発周囲の住民15万人を30年以上検査する体制整備を急いでいると4月21日に報じられ、5月22日には「県民健康管理調査検討委員会」を設置して、夏頃に調査を始める方向を示していました。しかし、住民が望んでいたのは放射線に関する正確な情報であり、「自分にとってどうなのか」「自分はどうすればいいのか」という具体的な対処方法を知ることでした。

「飯館村の健康相談会では、257人を診ました。年齢中央値は62歳。慢性疾患を合併している人が多く、高血圧が92名、高脂血症が30名、糖尿病が14名でした。家族歴では86名に心臓疾患、18名に脳血管疾患、104名に悪性腫瘍の近親者がおり、放射線による健康被害を考えると、癌患者を身内に持つ住民のストレスは極限に達していたでしょう」

内部被ばく調査を単なる疫学調査にせず、安心の糧にする

国や県が推し進めることと、市町村など自治体が必要とすることとの違いは、「内部被ばく調査」でも同様でした。福島県の「健康管理・調査事業」は二次補正予算で782億円が措置され、全県民に対象を拡げましたが、2012年3月時点での外部被ばく量推計のためのアンケート回収率は21.5%、こころの健康度・生活習慣調査は30.6%に過ぎなかったと言います。

「住民と話をしていると、『せっかく調べてくれているから、体調が悪いって書いておいたよ』などという声も聞こえます。正確性という点でも、住民の望む相談などコミュニケーションを伴わない調査だけでは、その結果にも疑問を感じざるを得ません」
一方、上先生のチームが行った内部被ばく調査は、地域に常勤で入っていった医師たちが日常の健康相談の中で行うものでした。ですから住民からの調査依頼が相次ぎ、南相馬市立総合病院で7月11日から稼動したホールボディーカウンター(WBC)による内部被ばく検査を受けた住民数は、2012年1月末には1万人を超えたのです。

「南相馬市では今もずっと内部被ばく検査を続けており、放射線の授業も継続しています。白血病を引き起こすリスクとなるセシウムを測定していますが、検出率はほぼゼロです。プルトニウムなど他の放射性物質はセシウムよりも重いですから、セシウムさえ検出されなければ、まず大丈夫です。検査データは全て取ってあり、相馬市では立谷市長が、将来請求があれば検査データの証明書を発行するというのを市の事業としています。女性が結婚や出産に際して差別を受けないための対策です」

また、原発事故により大気中に放出されたであろう放射性物質のうち、ヨウ素については検査データがなく推定するしかありませんが、チェルノブイリ原発事故のデータが通用するならば、ヨウ素による甲状腺癌はある時期に固まって出現するはずと言います。全身くまなく拡がるセシウムと違って、ヨウ素は甲状腺に集まりますから、甲状腺エコーを定期的に行うしかありません。

チェルノブイリのデータから分かることは他にもあります。当地で内部被ばくが最大値を示したのは、事故の10年後でしたがそれは、当時ソ連邦崩壊による食糧難のため、汚染を気にする余裕がなかったからと見られています。

「つまり、被ばく地であっても生活のし方如何で安全か否かは変わってくるのです。福島でも、情報をきちんと得て、正しく生活すれば安全に暮らせます」

究極の環境下で真に役立つのは、自衛隊とボランティア

大規模災害時に医療現場で必要な手とは何でしょうか。災害医療と言えばDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が思い浮かびますが、上先生はそれよりも若いスタッフのほうが現場はありがたいはずだと言います。

「一般のクリニックや老人施設で、必要があれば働き、用のないときには放っておけば、辺りで寝転んで休憩を取っていたり、記録を取ってSNSなどで適切に発信したりできるような若い働き手がちょうど良いのです。国は大掛かりに、例えば心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder; PTSD)対策といって精神科医を時々送り込んできたりしたようですが、そんなことよりも困っているのは、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia; BPSD)による不穏、異食、暴力などへの対応だったりするわけです。大学病院の偉い医師を数回派遣するのではなく、若手でよいので常勤医を1人手配して認知症対策に充てることです」

いくつもの大規模災害を経験してきた最近の日本では、ほとんどの自治体において災害対策の備えは充実されています。ですから、DMATなどが入って独自のシステムで動こうとするよりも、被災地からの指示に従って動ける人手が必要だというわけです。
「自衛隊は、命に関わるような命令の出せる組織ですし、ボランティアも自己責任が徹底されればよいでしょう。いざとなると責任が持てないといって退却するような組織が実は困り者なのです。極端な例ではありますが、原発事故の際は、30キロ圏内からはDMATも日本看護連盟も大手新聞社も即座に撤退しました。究極の環境下で動けたのは、自衛隊とボランティアだけだったのです」

災害が長期化したときには、別の問題もあると上先生は指摘します。
「病院や学校での働き手には、実は多くの『母親』の存在があります。災害後には保育園や託児所がほぼ機能しなくなるので、子どもを預けられず、母親たちが職場に来られなくなるのです」

熊本地震の時には、被災病院の働き手が比較的近隣の住民であったため、大事には至らなかったそうですが、自動車通勤がスタンダードである地方や、交通網がダメージを受けた時に再開の困難な都市部であれば大問題となるでしょう。被災してもなお生活は続きます。ライフラインの確保だけでなく、十分な働き手の確保が必要であるとの示唆には誰もが耳を傾けるべきかもしれません。

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