日本赤十字社医療センター院長 本間之夫先生インタビュー(前編)

2017/9/27

「人間の社会では政治や経済が主役で、医療はあくまでも脇役です。しかし、いかなる権力者や財産家も病気や死から逃れることはできません。その苦しみを一人で背負わなくてはならないという意味では、誰もが平等なのです。ですから、医療は脇役ながらも、現実社会の価値観をやや超越しています。そんな立ち位置に惹かれました――」
そう語るのは、2017年4月に東大教授から東京・広尾にある日本赤十字社医療センターの院長に就任された、本間之夫先生。同病院は708の病床、250名の医師を含む1700名のスタッフを擁する有数の大病院です。前編では約40年間務められた泌尿器科医としての実績、そして後編では、新院長としてのこの先のお考えを伺います。

冷凍宅配食の「ナッシュ」
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手つかずだが多くの患者がいた「排尿の問題」に向き合い、草分けに

―「『排泄学』ことはじめ」「尿の悩みを解決する本」「トイレが近い人の読む本」など、人に相談しにくい排尿の困りごとの一般書を多く出されていますね。この分野でのパイオニアでいらっしゃいます。

医療のもつ脇役的な特徴に惹かれて医学部に進んだからでしょうか、あまり人気のなさそうなところということで泌尿器科を選んだようなものです。泌尿器科の中でも、もっとも泌尿器科的なテーマでありながら、実はあまり研究や診療がなされていなかったことから、排尿の問題に関心を持ったのだろうと思います。

とはいえ、パイオニアと言われるのは面はゆいです。すでに先人は多数おられました。また、未開の分野を拓いたというわけではなく、そこにある問題に対処しただけですから。悩んでいる患者さんがいるのに、医学的な対応が不十分だったということです。対応が不十分だったのは、尿には汚いとか幼稚だというようなイメージがあり、排尿の問題は医学の対象ではないと思われていたからかもしれません。同じ医師になるなら、高度な知識と技術を持って華やかに活躍できる分野に心が惹かれるものでしょう。もう古典的ですが、ベン・ケーシーはご存知ですね。彼のように、神秘的な臓器である脳の病気を、颯爽と現れて難なく手術をこなして完全に治す外科医、これがかっこいいに決まっています(笑)。

ただ、排尿の問題に取り組んでみると、その奥が深いことにも気づきました。それは、排尿の問題は医学的な問題だけではなく、全人的・社会的な問題だということです。人間は社会生活を営んでおり、その人間に求められる排尿機能は先天的に与えられたものだけでは不十分なのです。皆さんはご両親から、特定の場所と時間に排尿するという社会のルールをしつけられて今日に至っているはずです。逆に言えば、尿を漏らすというのは、単に身体的な問題というだけでなく社会性が未熟な行動と思われるのです。その人自身の人格や尊厳に関わってくるわけです。

尿失禁から過活動膀胱へ 人の口にのぼってメジャーに

―たしかに排尿は社会生活と大きくリンクしていますね。尿失禁までいかなくても、頻尿だけでも外出や旅行にも困るし、仕事にも差支えます。

そうなんです。患者さんの悩みを細かく分析していくと、排尿の症状は人生の多くの場面で大きな問題となっていることが分かります。また、症状の原因となる膀胱や尿道の病態についても、医学的な研究が不十分でした。つまり、社会生活や人間の尊厳に関わるというだけでなく、医学として学問としての潜在的な面白さという点でも、取り組みがいのあるものなのです。

―「過活動膀胱」については、診療ガイドラインができたのが、2005年ですね。このネーミングで、受診される方は増えたのではないでしょうか?

今や過活動膀胱は市民権を得ましたね。これは「急にトイレに行きたくなり、そうなると我慢が難しく、時には漏らしてしまう」という状態を意味します。ですから、尿漏れも含んでいるのですが、はっきりそうとは言っていないのがミソです。「尿失禁」や「尿漏れ」というのは直接的過ぎて口にしづらいものですから。私は2003年から5年間、この日赤医療センターに泌尿器科部長として勤めていましたが、そのころから有効な薬剤が診療でも広く使えるようになり、患者さんも増えましたね。年のせいだと諦めていた方や一人で悩んでいた方には、朗報でした。

他の排尿の症状では、寝ている間に何度もトイレに行く夜間頻尿についても、研究を進めてきました。尿漏れはもちろん困りますが、困っている人の数という点では、夜間頻尿が最も多いのです。また、その原因には血圧や尿量の調節など心臓や腎臓の機能も関係しており、泌尿器科だけでは解決できないのです。また、間質性膀胱炎という病気にも取り組みました。これは、膀胱の痛みなどが主たる症状ですが、検査では異常が分かりにくく、診断すら難しい病気です。患者さんの困る程度は尿漏れどころではありません。現在は指定難病となっており、新規の治療法を模索しているところです。

社会の高齢化にともない、オムツや結石などが新たな問題に

―健康長寿をめざす時代を迎えて、泌尿器科の問題はますます大切になりますね。

高齢者の中でも、全身の機能が下がってきて介護が必要となった高齢者では、排尿の問題の様相はかなり違います。その尿漏れでは、膀胱の機能ではなく、トイレに移動できる身体機能や尿意が分かる認知機能が重要となります。健康な長寿社会をめざすには後者への対応が必要です。

高齢者の尿漏れには普通はオムツで対応しますが、対象者の数は数百万人、オムツ代だけでなく介護者の人件費も考えるとその費用は膨大です。重大な社会問題なのです。オムツを常用するのは、泌尿器科的な観点からすると、尿意が分かる機能を悪くする行為になります。尿意が分かる機能は後天的に獲得したものですから、使わないでいるとなくなってしまうもの。オムツを使い始めると尿意が分かる必要がなくなるのでその機能が落ち、オムツから離脱するのがますます難しくなります。そのうえ、オムツを当てているとトイレに行かないので移動する必要もなくなり、身体機能が低下し、ついには認知機能も全体に低下します。私はこれを膀胱廃用症候群と呼んでいます。

そもそもオムツを常用するのは、大抵は、トイレに連れて行くのが大変だからというケアする側の都合です。そこで尿意が分かる機能の低下に対しては、超音波で膀胱容量を測ってその機能を補い、膀胱がいっぱいならトイレにお連れするという方法を考案しました。この方法を用いると尿漏れやオムツの使用量が減りました。

最後に高齢者の泌尿器系の問題として一つ触れておきたいのは、結石です。要介護高齢者では寝たきり状態から腎臓や尿管に結石ができやすくなります。しかし、年齢などの理由で泌尿器科の受診を控えがちで、泌尿器科医も治療には消極的です。その結果、運が悪いと結石による感染症が起こり、それは時に致命的となります。これは、かつての尿失禁と同じく、隠された重大な泌尿器科的な問題ではないかと思っています。

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