東京大学 名誉教授 広島大学病院国際リンパ浮腫治療センター センター長 国際微小外科学会 理事長 光嶋 勲先生 (前編)
2018/5/20
「微小外科」と呼ばれる分野があります。顕微鏡をのぞきながら特殊な器具を用いて行う手術で、形成外科では切断された指の再接着や切れた神経の縫合、血管吻合による再建手術を指します。欠損部に皮膚や骨、筋肉を移植しますが、顕微鏡下で行うことで数ミリから1ミリの動脈・静脈・リンパ管・神経を吻合できるのです。光嶋勲先生は、これをさらに微細に、「0.3ミリ」レベルで行える「超微小外科」の開拓者。その経緯や「マジック・サージャリー」と賞賛される技術の中身を伺います。
0.3ミリの血管をつないで生きた組織として機能させる、完璧な再建
―80年代に「穿通枝皮弁(せんつうしひべん)術」という再建手法を編み出されました。
それ以前には、そうした概念がなかったのです。筋皮弁術といって、たとえば乳房再建も下腹部の腹直筋ごと皮膚組織を取ってきて移植しており、それだと手術は誰でも成功するのですが腹筋運動ができなくなり、ヘルニアも引き起こすなど、大きな弊害がありました。そこで私が考えたのが、筋肉の中を通る穿通血管という0.3ミリの血管をきれいにはがし、腹筋は傷つけずそのままで腹部の贅肉を切り取り、乳房の位置に置いて、0.3ミリの血管で周辺部とつなぐやり方です。栄養血管といって、こうしてつなぐと移植した組織に栄養が通って、生きた組織として機能できるんですね。むろん、腹部のほうも筋肉が損なわれていませんから、運動等に支障が出ません。
―乳房再建以外にも適用できるのでしょうか?
もちろんです。あらゆる欠損部分の形成手術を穿通枝皮弁術で行うことで、移植後すぐに神経が通い、栄養が通うことで、形状だけでなく感覚も元通りによみがえります。足の指で手の指を作って器用に動かせるようになったり、腿の肉を頬に移植して思いどおりに笑えるようになったりするのです。頭頸部については、人間の顔という、もっとも目に付く場所でもあり、交通事故や顔周りのがんなどで欠損が生じた場合に、患者さんの精神的ダメージが大きいものです。それをきれいに復元できるのが、穿通枝皮弁術の威力。皮膚だけでなく、筋肉や骨も、栄養血管を付けて移植するので、生きたものとしていくらでもつなげられます。
この広範な欠損部分の形状・機能の再建については「キメラ型合併移植法」と名付け、今では若い形成外科医が成功を夢見る登竜門となっています。20時間はかかるので、3チームほどで当たらねばなりません。一気に行うこの方法に次いで、何ヵ月か空けて分けて手術を行う術式も最近開発しています。日本神話に出てくる頭と尾がそれぞれ8つある八岐大蛇(やまたのおろち)から、「オロチ型合併移植法」と名付けて行っています。日本発、ということが伝わりやすいでしょう。
また、2013年頃からは、移植した組織が自然に見えるよう、粘土細工のように削り出すこともしています。削りすぎると皮膚を壊死させてしまいますが、削れる限界の厚さが分かってきて可能になりました。美容再建と名付け、顔であれば左右のバランスをとったり、要望があれば目を二重に仕上げるようなことも行います。顔は目の印象で見え方が格段に変わりますから、大事なことですね。
形成外科学の常識破り。論文掲載をきっかけに、世界を席巻し始める
―改めて、つなげる血管やリンパ管が0.3ミリというと・・・、目には見えませんね。
ですから、顕微鏡下の手術なのです。とは言え、それでも大抵の術者は0.3ミリの血管をすぐに千切ってしまい、剥がすことすらできないもの。穿通枝皮弁術も、80年代に発表してしばらくは「そんなこと、できるわけがない」と、なかなか信じてもらえませんでした。当時の形成外科学の常識に反することであり、私はいわば「異端者」のようなもの。従来の秩序を乱す動きは受け入れられるまでに時間がかかる、というのは、どこの世界にも言えることでしょう。
新たな概念である穿通枝皮弁術は、イギリスの医学誌が論文をようやく取り上げてくれ、世界に発信することができました。海外で論文を出すと、ちゃんと反応があって、自分でもやってみる医師が現れてくるのです。失敗が相次ぐ中、アメリカで一人、穿通枝皮弁術による乳房再建を上手くできる医師が現れました。彼が国際学会の場に私を訪ねてきて、直接指導を請うのです。実は、日本では行えませんが、海外では遺体を用いて訓練としての模擬手術を行うことが可能です。そのやり方で、海外で指導を始めました。その後、1997年からは毎年ライブ手術を行うようにもなり、一気に穿通枝皮弁術の技術が広まったのです。20ヵ国以上で行い、参加した外科医は5000人以上にもなります。当時30歳前後だった教え子は今50代に入り、各国で形成外科のそれぞれの分野で地位を確立していますね。
―世界中に「光嶋チルドレン」が育っているわけですね。
海外では自由診療が基本なので、スペシャルな手技に対する意欲が大きいですから、みな医師としての仕事を休んで個人負担で学びに来るのです。私は1990年に川崎医科大学形成外科の助教授に、2000年に岡山大学医学部形成再建外科の教授になりましたが、その時代から私の論文を読んで海外から学生が訪れていました。
2004年に東京大学医学部形成外科・美容外科の教授に就任しましたが、そこへも留学して学びに来る医師が引きも切りませんでした。昨年、東大を退官するまでの13年で、そうした留学生が300人です。厚生労働省に申請すれば、日本の仮の医師免許が発行されるので、当初は医局のほうでその手続きも対応していたのですが、数も多く負担になっていました。そこで院長に相談したところ、東大総長が掲げているグローバリゼーションと合致するというので、東大病院に国際診療部を立ち上げてもらえたのです。2012年のことでした。以来、欧米や中国などから大勢が学びに来ています。むろん、私自身が海外で行う講習会・ライブ手術も未だに続いています。
―日本人医師の学ぶ姿勢は、いかがでしょうか?
国際講習会のライブ手術にも、昔は日本人が来ていましたが、なかなか難しいようですね。ただ、東大の医局ではみなが意欲的です。たとえば、リンパ浮腫については、世界の論文の8割以上は東大から出ていますよ。一般に日本人は論文発表に消極的なイメージがありますが、私の周辺ではクレージーなほど行われています。
リンパ浮腫治療の副産物として、リンパ液のもつ免疫力で、がんを消す
―リンパ浮腫のお話が出ましたが、それはまた形成外科とは分野が異なりますね。
もともとは血管外科の領域ですね。従来、リンパ浮腫は治せない病気といわれて、弾性ストッキングによる保存療法や鍼灸師が行う理学療法などで症状に対応するしかありませんでした。そこに、1990年のことですが、私がリンパ管と静脈をつなぎ、リンパ液を還流させて浮腫を治すバイパス術を持ち込んだのです。これが本当に大きな反響を呼びました。
リンパ浮腫を引き起こすものに、乳がんや子宮がんで転移を防ぐためのリンパ節切除があります。ただでさえ女性特有のがんで心身ともに傷ついているところに、腕や脚がぱんぱんに腫れあがるわけですから、患者さんはみなさん、絶望されているもの。それが、どこの病院でも治せず、真剣に取り合ってももらえない状況でした。それが、私の行うリンパ管と静脈のバイパス手術で完治できるというので、当時、東大病院に全国から患者さんが押し寄せたのです。手術枠も可能な限り増やして対応し、年間300例は行ったでしょうか。今は、広島大学病院で立ち上げた国際リンパ浮腫治療センターで京都から西、九州一円などから訪れる患者さんを、年に200例ほど執刀しています。東大病院では、後輩医師が手術に当たっていますが、手に余る症例の場合は、私のほうで行っています。
そして、このリンパ浮腫には血管肉腫という恐ろしい合併症があるのですが、実はこのバイパス術がそれに対しても有効だとわかっています。
―血管肉腫というと、血管のがんですね。それに効くのでしょうか?
そのとおりです。リンパ浮腫になるとリンパ液がもつ抗がん免疫が衰えるため、100人に1人の割合で血管肉腫が現れます。血管の一番内側の内皮細胞ががん化するのですが、全身に転移しやすく、抗がん剤も放射線も効かない難しいがんです。それが、7~8年前から分かりだしたのですが、以前にリンパ管と静脈のバイパス術を行っている患者さんの場合に、途中でがんが消えることがあるのです。不思議に思いましたが、血管肉腫を発症した後にバイパス術を行った患者さんでも消えました。おそらく血管中に、リンパ液の中のキラーT細胞が入り込むことで、がんを抑制できているようです。
私が関わった12例の血管肉腫患者さんのうち、5例でがんが消えています。リンパ浮腫患者は全国に20万人といわれますから、その100人に1人といえば、2000人が血管肉腫になるわけです。進行が早いがんのため、あまり問題が顕在化はしていませんが、治せるとなれば福音でしょう。
―免疫は、医学の中で比較的新しい分野ですが、不思議なことがあるものですね。
もう一つ、今、広島大学で血液外科の教授とも検証しているところですが、ある年齢になると骨髄が損なわれる、骨髄異形成症候群の患者さんが、リンパ浮腫を合併していることが多く、関連がありそうです。この病気では骨髄移植が避けられなく、しかしながら、それでも白血病になり死に至ってしまうのですが、リンパ浮腫のバイパス術を行っていると、骨髄移植の成績が良いのです。
実際、かつて中学生でリンパ浮腫となり、私が手術して完治させた患者さんが社会人になってから、突然高熱が出て、調べたら骨髄異形成症候群と分かりました。東北在住でしたが、リンパ浮腫を東大病院で治療したからといって、今回の骨髄移植も望んで東大病院を訪れてくれましたが、無事成功を収め、職場復帰しています。