【後編】南相馬市立総合病院 尾崎章彦先生インタビュー 〜震災後の地域医療について〜

2017/8/17

東日本大震災の被災地の一つである福島県南相馬市の公立病院、南相馬市立総合病院に勤務する外科医・尾崎章彦先生は、一般診療の傍で、震災後の健康問題にも取り組んできました。福島の被災地ではともすれば放射能に関する問題ばかりが注目されてきました。しかし、尾崎医師は、放射能による被害そのものよりも、震災による社会変化を背景に起きている健康問題に特に着目して取り組んでこられたそうです。

例えば、最近尾崎先生が報告した調査として、被災地の乳癌に関するものがあります。きっかけは、日々の診療の中で、治療が手遅れになるまで受診しない乳癌患者が多くいることに気付いたことだそうです。震災前後10年以上の期間にわたって患者さんのデータをまとめた結果、震災後に被災地の乳癌患者において受診の遅れが増加し、その背景に避難に伴う家族サポートの低下があることがわかって来ました。今後は、行政や地域住民とも協力し、乳癌患者の早期受診・早期発見に向けて取り組んでいくとのことです。
この記事ではそんな尾崎先生に、被災地での医療に従事するまでの経緯や今もなお残る被災地の医療の課題を中心にお話を伺います。

前編では、南相馬市を含む福島の被災地において、放射能被ばくによる健康影響が無視できるレベルに保たれていることをご紹介しました。
今回は後編です。

避難による健康被害

では、津波は除くとして、震災後に最も人的な被害につながった現象はなんだったのでしょうか。答えは避難です。特に、南相馬市の長期療養施設においては、入居者を避難させた結果、わずか3ヶ月の間に3割程度の方が亡くなっています。最大の原因は、避難そのものによるストレスです。このような施設においては、高齢者や寝たきりの方など、もともと全身状態が良くない入居者が多くいました。情報や物資が限られた中でバス等によって行う避難自体が、この方々にとって非常に強いストレスになったと推測されています。実際、避難している最中に患者さんが亡くなった施設もあったと聞いています。さらに、震災後の混乱や不足するマンパワーの中で、避難先に対して十分な引き継ぎを行うことが困難であったことも死亡率の上昇を後押しました。施設入居者にはコミュニケーションをとることが難しいような方も多くいます。そのため、避難先で本人から新たに情報を得ることも難しく、避難前と同様のケアを施すことが困難だったのかもしれません。例えば、食事介助にコツがいるような入居者においては、避難先で食事を介助する方が変わっただけで食事を食べなくなったりしたこともあったそうです。

このため、震災直後の避難を避けるよう訴える声も上がっています。実際、震災から1ヶ月程経過して避難した施設入居者においては、震災直後に避難した方々と比較すると、避難による死亡率の上昇は顕著ではなかったようです。しかし、災害時に患者の避難を遅らせることはとても難しい判断です。なぜならば、このような決断は医療スタッフを危険に晒す可能性があるからです。さらに残ったスタッフに多くの負担を強いることになります。医療機関の職員の大多数は女性であり、その多くに家族がいます。震災当時、病院の責任者は、医療スタッフやその家族の安全を守りながら、一方で、患者の命を守るという大変困難かつ答えのない決断を迫られたと言えます。

高齢化と人口減少

これまで私が注目して取り組んできた課題のひとつが、被災地における高齢化と人口減少問題です。例えば、南相馬市は福島県相双地区における最大の自治体であり、震災前の総人口は7万人強でしたが、震災直後に1万人程度まで減少しました。その後時間をかけて人口は回復してきましたが、現在でも6万人弱にとどまっています。また、避難した方の多くが若年者から中年世代だった一方で、高齢者の多くが地域に残ったことで、高齢化が急激に進行しています。このような若年者の減少は、コミュニティーの弱体化につながり、各家庭・地域社会で大きな問題になっています。例えば、震災前は、多少具合が悪い程度であれば高齢者であっても家族のサポートを頼ることで自宅加療が可能でした。しかし、震災後は、入院中の高齢者が自宅でのサポートが乏しいために自宅退院できず、長期療養施設に転院するといった問題が生じています。実際、このような状況を反映して、南相馬市における高齢者一人当たりの介護費用は震災後に30%程度上昇しています。このような社会変化による健康被害について、病院のデータを用いて示すことができればと思って取り組んだのが乳癌患者の調査でした。

医療現場における家族サポートの重要性


先日、乳癌患者についての調査結果をまとめた論文を発表しました。この調査は、震災後に病院を受診するタイミングが遅れる患者が増えていること、そしてその背景にあるのが家族サポートの低下である可能性に言及しています。

過去の調査では、
①3ヶ月程度受診が遅れると乳癌患者さんの予後が悪化する可能性
②実際の受診の過程において、家族の後押しが重要である可能性(病院までの送迎や、日常会話から病気の可能性を示唆する等)が指摘されています。それぞれのポイントについて今回の調査ではどのような結果だったか振り返ってみたいと思います。

①について、乳癌患者の予後(どの程度生存できるかの見通し)ははっきりと評価できていません。しかし、受診が遅れた患者ほど病期(ステージ)が進んで発見される傾向がありました。病期が進んだ方ほど予後が悪いことを考えると、しこりなどの乳癌を示唆する症状に気付き次第早めに受診した方が良いと言えます。

②については、子供との同居が、早期での医療機関受診に重要である可能性が示唆された一方で、配偶者との同居は、医療機関の受診傾向と明らかな関連はありませんでした。これは、今回の調査において、患者さんの平均年齢が60歳以上と高齢であったことに関係していると考えています。配偶者や子供の年齢の詳細は調査できていませんが、患者の年齢から推測するに、配偶者は60-70歳程度、子供は40歳前後だったと考えられます。このような状況で、よりアクティブに患者をサポートできたのは、配偶者よりも子供だったのだろうと考えています。そのため、もし患者が30代から40代の若い方であれば、子供よりも配偶者からのサポートが重要だった可能性があります。文脈に応じた丁寧な議論が重要だと思います。

実際、現代の日本では、女性の社会進出もあり未婚女性の割合が高くなっています。一人暮らしの女性が、自分自身の体調に十分な注意を払うことができなければ、乳房のしこりに気付いたとしても受診を先延ばしにするかもしれません。そう考えると、乳癌患者の受診プロセスにおける家族サポートの重要性は、被災地の文脈を超えて、非常に一般性のある問題であることもわかっていただけると思います。

なお、乳癌以外の癌腫においても、震災後の社会変化による健康影響が生じています。ある高齢の大腸癌患者のケースです。この方は、元々独居でしたが、震災前は頻繁に友人とのやりとりはあり、自身の健康についてもよく相談することがあったようです。しかし、震災後多くの友人が避難したことで健康状態について相談する機会がほとんど無くなってしまいました。結果として、1年以上もの間血便を放置してしまい、貧血でふらふらになるまで病院を受診しませんでした。私たちが診療した時にはとても進行していて治療の甲斐も無く亡くなってしまいました。

このケースは、その終末期に施設ではなく自宅で過ごすことを希望しましたが、それも叶いませんでした。在宅診療は、医師が患者の自宅を訪問するような医療形態ですので、家族サポートの必要はないと思われがちです。しかし、これまで医療者が担っていたような役割を家族にアウトソースするため、在宅診療こそ家族のサポートが必要です。そのため、家族サポートが減少した被災地の医療の現場においては、本人の希望に反して、在宅医療を受けることが叶わないケースが多く起こっています。

現在も残る被災地の傷跡

生態の変化による人的健康被害

南相馬市においては、2014年から2015年にかけて蜂刺されによる被害が急増しました。当院においては、蜂刺されで受診した患者を外科が主に担当しており、蜂刺され増加の原因を調査することになりました。その中でわかってきたのが、除染作業員における被害の多さでした。除染作業は、主に山間部や避難区域の住宅地で行われます。また、その主な作業は草木を苅って地面の表層を堀り起こすことです。山間部はもともと蜂の巣が多い場所であり、避難区域の住宅地においても、震災後手入れが行き届かなくなったことで、蜂の巣が増加しているようでした。また、居住可能区域の住宅地においても、所々存在する空き家に蜂の巣ができることで、周囲を飛び回る蜂が増えているようでした。

興味深いのは、これらの現象が震災直後ではなく震災から数年経って発生したことです。除染作業員における被害については、南相馬市における除染作業が2014年頃から本格化したことと関係しています。一方で、居住区域における蜂刺され被害については、蜂の生態に関係しています。蜂が生息区域を広げるには、女王蜂が新たな場所に巣を作る必要があります。しかし、そのようなチャンスは1年に1回しかないのです(スズメバチやアシナガバチは1年に1回しか繁殖しない)。その結果、蜂が繁殖区域を広げるプロセスに数年程度かかったのだと考えています。

また、被災地においてはイノシシの増加も問題になっています。これは、イノシシの放射能汚染に伴い、食用目的の狩りが激減したことと関係していると推測されています。最近になってイノシシの生息数を減らすための狩りが熱心に行われるようになっていますが、放射能に汚染したイノシシをどのように処分するかは自治体の悩みのタネになっています。

被災地の医療体制

震災後、資金繰りの悪化と医師確保の困難に頭を悩ませられている病院も存在します。福島県広野町にある高野病院は、1984年に高野英男院長が創設し、震災以降も一人院長として1日も病院を閉めることなく診療を継続してきました。その高野先生が2016年12月30日に火事で亡くなりました。震災後院長が亡くなるまでも高野病院に対する公的なサポートは不十分でした。しかし、院長が亡くなり、当時100人以上入院していた患者の命が危機に晒されるという緊急事態においても、福島県や国による迅速かつ十分なサポートは提示されませんでした。

そのため、浜通り地区の有志の医療者が中心となり、“高野病院を支援する会”としてボランティアの医者をfacebookやTwitterで要請したり、“Ready for” というクラウドファンディングで資金集めを行いました。この活動は高野院長のこれまでの地域医療への献身もあり、幸い多くの方々の賛同を集めることができました。しかし、私たちの支援は一時的なものであり、高野病院が安定して継続できるかについては十分な見通しが立たない状況が続いています。

現在、国主導のもと、広野町周囲の自治体においては避難指示が解除され住民の帰還が進んでいます。医療はインフラであり非常に公益性の高い事業であることを考えると、その体制を整えることは最優先課題の一つと言えます。もちろん震災の被害にあったのは高野病院だけではありません。そのため、一つの病院に対して行政が特別な支援を行うのは利益誘導につながるとして敬遠する声もあるようです。ただし、必要としているところには必要な支援が行われるべきですし、そのような取り組みの中で高野病院に対しても十分なサポートが行われればと願っています。

経済的問題や放射能への不安など

少し医療から離れてみましょう。震災から6年が経過した現在、人口、特に若年者の減少を背景に、地域の体力がじわじわ奪われ、また、多くの住民が疲弊しています。例えば、飲食店からは、人を雇用しようと募集をかけてもなかなか人が集まらないため、人件費を上げざるをえないという悲鳴が聞こえています。また、地域全体として人口が減少しているので集客に苦戦するケースも多いようです。このような民間事業主の苦戦は、病院だけに限ったことではないのです。

さらに画一的な賠償制度も住民の絆を弱めています。東京電力による地域住民に対する賠償は、自治体毎、あるいは、福島第一原発からの距離を基準に設定されるため、道の向こう側の住民は賠償金をもらっているけれど、こちら側の住民はもらうことができないといった現象が起こっています。

放射線に関してもまだまだ不安は残っています。水道水の安全性はすでに示されていますが、子供に水道水を飲ませることを避けるお母さん方はまだまだいます。前述の坪倉医師は、幼児向けの内部被ばく検査の際に、お母さん方のカウンセリングを続けています。即効性はないのかもしれませんが、放射能に対する理解を深めるような作業を地道に続けていくことが重要なのだなと言うことを坪倉医師の姿勢から感じています。

【プロフィール】
尾崎章彦(おざき あきひこ)
福岡県出身。2010年3月東京大学医学部を卒業後、千葉県の国保旭中央病院にて初期研修を修了。2012年4月より福島県会津若松市にある一般財団法人竹田綜合病院へ赴任する。その後2年半の研修を経て、同県南相馬市にある市立総合病院に拠点を移す。一般外科診療の傍ら、専門とする乳癌患者の健康被害を中心に、地域住民の健康問題に取り組んでいる。

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