東京慈恵会医科大学外科学講座統括責任者 大木隆生先生インタビュー(後編)

2018/1/6

1995年、32歳の時にアメリカで当時最先端の人工血管「ステントグラフト」の開発に携わり、名門アルバートアインシュタイン医科大学の教授となった大木隆生先生。2006年に帰国後は、母校の慈恵会医科大学血管外科でステントグラフトの第一人者として日本の血管医療をリードする一方で、同大学外科学講座の統括責任者チェアマンとして、「医療崩壊」と評され疲弊し切っていた医療現場の建て直しに尽くされ、文芸春秋誌「日本の顔」にも取り上げられました。大木先生がめざす「トキメキと安らぎのある村社会」のあり方などを伺いました。

冷凍宅配食の「ナッシュ」
冷凍宅配食の「ナッシュ」

災害医療、僻地医療で発揮される、仲間意識と社会貢献マインド

―アメリカにおられた12年と同じくらいの年月が、帰国されてから経ちました。

時間はかかりましたが、本当に良い医局になったと思っています。非常に求心力の高い組織ですね。災害時の対応など、見事です。3.11のときに東北で被災した仲間への募金を募ったところ、1本のメールで瞬く間に1400万円集まりました。熊本地震でも700万円、茨城の水害でも600万円です。被災地への医療者派遣も、内科や小児科、救急は人集めに苦心していたようですが、外科は一斉メールで呼びかけるとすぐに声が上がり、半年先までのローテーションが組めたほどです。

DMAT(災害派遣医療チーム)は48時間で帰ってしまいますが、私たちは長期にわたって支援しようと3.11以降、今でも福島県に医師を派遣しています。最初は1週間のローテーションで、4月から10月までは志願者が半年間、その後は常勤医を派遣しもう6年経ちました。部活のアマチュア精神で集まった医局スタッフは志が高く、社会貢献マインドも強いのです。

これは僻地医療でも発揮されていて、従来は慈恵と縁のなかった静岡県、高知県、宮城県、栃木県、長野県にも常勤医をわれわれ医局から派遣しています。経済的インセンティブでこれをやろうとすると大変なお金がかかるでしょう。そうでなく、慈恵の外科の活力を地方にも回そうと、仲間意識の延長線で同じ日本人なのだから助け合おう、慈恵医大もその社会的使命を果たそう、という発想です。むろん、片道切符で一生行くわけではありません。長い一生の間で、若い時期1年間程度を地方で過ごすのは良い経験です。受け入れる僻地もうれしいですし、慈恵にとってもブランドイメージアップになり、三方良しです。

帰属意識や仲間意識が希薄な組織でこれをやれば、地方に行くのは貧乏くじを引かされたように感じられるのかもしれませんので実行できないのではないでしょうか。でも慈恵医大外科では、当たりくじです。行く時には皆から賞賛されるし、戻ってくれば認識されて正当に評価されるわけですから。子どもは小さく叱って大きく褒めろと言いますが、似たところがあるかもしれません。

衣食足りたらそれ以上のお金は紙くず同然、求めるべきはトキメキにあり

―日本も世界も、分断や○○ファーストなど、自分だけ良ければという考えが主流になってきていますが、何か良い循環で原点に戻したいものですね。

アマチュアリズムは、実は人間の本能に近い行動パターンなのです。「トキメキと安らぎのある村社会」においては、トキメキは医局のコンペでの優勝や良い手術をすること、論文を書き上げること、僻地医療に貢献することなど、いろいろあります。ただし、部活とは違ってトキメキだけでは家族を養えませんから、社会人として「安らぎ」が必要です。そのためにチェアマンとして、医局員のバイト代や定年退職後の再雇用先なども進んで交渉します。ワイワイ楽しむだけでなく、キャリアパスも用意しなければ安心して身を投じることはしにくいでしょう。

こうしたことは、時計の針を30年分ほど戻しただけで、私が発明したわけではありません。ただ、アメリカ生活で人生において大事な事を再確認したのです。無給から1億円プレーヤーになっても私は、家も車も食べ物も着る洋服も、何も変わりませんでした。お金は水と一緒で不足したら生きてゆけませんが、過分にあっても人を幸せにしません。
ですから、学生には「衣食足りたらトキメキを求めよ」と言っています。東京で一人暮らしなら500~600万円、それ以上はお金じゃなくて夢を追い求めなさいということです。患者さんの命を救うことでも研究開発でも社会貢献でもよいのです。衣食足りる程度のお金は大事ですが、それ以上は無駄。同時に「衣食足りるまで夢は語るな」とも言っています。早くから自分探しの旅などではなく、家族を持ったら養えるようになるまではトキメキも夢も語るべきではありません。そして経済力が得られたらそれ以上お金は求めず、夢を追うべきです。そしてこの転換点は突然訪れます。

収入が足りると、その人にとってのお金の価値は急速に落ちるものなのに、多くの人は紙くずになってもお金を稼ごうとしているように思えてなりません。衣食が足りたらそれ以上のお金は死に金です。例えば死に金を生き金にす方法として、例えば過分なお金が貧困層に回れば救われる人が大勢いるはずです。それを税金でやろうとすると、トキメキにならず、うまくいきませんから、昔の城下町を復活させてはというのが私の考えです。衣食が足りた後のお金で村民を養い、代わりに彼らからリスペクトされることで死に金がトキメキという生き金に変わるでしょう。夢物語かもしれませんが、一つの具現形としてトライしてみたいものです。

―現在国が推進している地域包括ケアなども、制度としてがんじがらめだとやらされ感が出るかもしれませんが、共助・互助と考えれば自然ですね。

「幼稚園の砂場」で学んでいるはずですが、今の日本社会では共助、互助の精神が忘れられてしまっているように感じます。慈恵の外科のように、仲間を大事にして帰属意識高く、求心力の強い組織のあり様というのは、医療でもビジネスでも一般の生活においても求められるべきことのはずです。私自身、大学や企業に招かれてこうした話をする機会も少なくありません。この社会実験を形にするのに10年かかりましたが、この組織を誇りに思います。そして、この成果を慈恵医大だけでなくもっと広く社会に広げるのが次の私の夢ですがこれは単に日本を昭和に戻す試みです。そうする事で日本全体の幸福度は上がると信じています

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