記事監修医師
東京大学医学部卒 医学博士
染色体は核内にあって、DNAという糸がヒストンという糸巻きに巻き付いたものです。健常ヒト細胞には46本の染色体があり、そのうち44本は常染色体、2本は性染色体です。また、ヒトは必ず父由来、母由来の染色体を1本ずつもっています。
ここからは、性染色体について考えます。男性はX、Y染色体を1本ずつ、女性はX染色体を2本もっています。Y染色体には遺伝子がほとんど存在しない一方、X染色体には様々な遺伝子(例えばジストロフィン、第Ⅷ・Ⅸ凝固因子、ヨードプシン、アンドロゲン受容体の遺伝子など)が存在しています[1]。仮に女性のX染色体が2本とも発現(遺伝子が転写、翻訳されて蛋白質までできることを遺伝子の「発現」といいます。つまりONになっているということです)しているとすると、これらの遺伝子の発現量が女性で男性の2倍になるはずです。しかし、これは同じヒトとしてはあり得ないことです。実際には女性の2本あるX染色体のうち、1本は不活性化されており、そこからの遺伝子発現は抑制されている(すなわちOFFになっている)状態です。
さて、最初にお話ししましたように、ヒトは必ず父由来、母由来の染色体を1本ずつもっていますから、女性の2本あるX染色体のうち一方は父由来、他方は母由来です。2本のうちのどちらが不活性化されるかは、受精卵から全身が形成されるまでの発生の過程で、細胞ごとにランダムに決定されます。そして、一度不活性化された染色体はもう活性化されません。以上を考えると、受精卵の卵割やその後の体細胞分裂の過程のある時点で、例えばある体細胞で母由来のX染色体が不活性化されて、この細胞から右眼網膜が形成されたり、また別の体細胞で父由来のX染色体が不活性化されて、この細胞から左眼網膜が形成されるということがおきるのです。このような発生過程を経た女性では、右眼網膜細胞が父由来の、左眼網膜細胞が母由来のX染色体が発現している(ONになっている)ことになります。このように、女性では発生の過程で両親から受け継いだX染色体のうち一方がランダムに不活性化されるわけです。この現象を見つけたのがLyonという女性科学者でしたので、この現象をLyon現象といいます。
POINT
Lyon現象:女性において、発生の体細胞分裂の過程で、両親から受け継いだX染色体のうち一方がランダムに不活性化される現象
先の例で、母由来のX染色体上にあるヨードプシン遺伝子が異常な(赤緑色覚異常の)遺伝子で、父由来の方は正常であったとしましょう。その場合は、この女性の右眼は正常ですが、左眼は色覚異常となります。
このように形質(細胞の性質・表現型のこと)が組織・臓器ごとに異なる状態をモザイクといい、女性は、発現しているX染色体に関して体全体でモザイクになっているのです。
次にジストロフィン遺伝子について考えましょう。例えば、父由来のX染色体に小欠失のあるジストロフィン遺伝子(この遺伝子からは正常なジストロフィン蛋白質は合成されません)が乗っていて、母由来のX染色体には正常なジストロフィン遺伝子があったとします。このヘテロ接合(異なる種類の遺伝子を2つもつ場合をヘテロ接合といいます)の女性は、ジストロフィン蛋白質の欠損した筋線維と、正常なジストロフィン蛋白質を有する筋線維とがモザイクに存在することになります。一つの筋の中にもこれらの異なる筋線維が混在している状況です。従って、男性のDuchenne型筋ジストロフィーよりも筋力低下が軽度であり、軽症の筋ジストロフィーとなるわけです。もしくは、ジストロフィン蛋白質の欠損した筋線維が多い筋肉は筋力低下を生じ、正常筋線維が多い筋肉は筋力正常であるといったモザイクの様式になることもあります。
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[1] これらの遺伝子異常でそれぞれDuchenne型筋ジストロフィー、血友病A・B、赤緑色覚異常、精巣性女性化症候群をきたします。これらの疾患は、原因遺伝子がX染色体上に存在するため、伴性遺伝の形式をとるわけです。