【特集】癌と闘う日本フットサルリーグ鈴村拓也監督・久光重貴選手インタビュー① 〜 癌と向き合う 〜

二宮 英樹 先生

記事監修医師 東大医学部卒、セレオ八王子メディカルクリニック

二宮 英樹 先生

三上 貴浩 先生

記事監修医師 東大医学部卒、医学博士

三上 貴浩 先生

日本フットサルリーグ(以下、Fリーグ)には、闘病生活を乗り越え、今なお活躍しているお二人の方がいます。
Fリーグ・湘南ベルマーレに所属している久光重貴選手と、
Fリーグ・デウソン神戸の元プレーヤー、現・同チーム監督の鈴村拓也監督。
お二人は癌の告知を受けてもなお、フットサル選手・監督として戦い抜いており、その力強い姿は癌患者だけでなく多くの人に希望を与えています。

今回は、そんなお二人のこれまでの葛藤や病気との向き合い方、癌治療のイメージを覆す思いなどについて、医師・二宮英樹先生との対談を3記事にわたりお届けします。第1弾です。

もくじ

癌の発症から告知まで

−告知される前のお身体の異変やシーズン中のご様子についてお聞かせいただけますか?


久光選手(以下、久): 選手としてスポーツをやり続けていても、年齢とともに体力が落ちることは自然なので、少し息切れがあるなと感じた時も歳のせいかと思っていたんです。それ以外の変化は特に感じていませんでした。
しかしちょうど4年前の2013年5月、選手に義務づけられているメディカルチェックを機に癌が発見されました。精神的に一番しんどかったのが、告知を受けてから治療を受けるまでの期間でしたね。様々な検査の後の診察において「何を言われるんだろう」と不安の中、“肺腺癌”という告知を受けまして。
肺腺癌とわかってからは「肺腺癌ってどんな病気なんだろう?治療はどんなことをするんだろう?」と大きな不安を抱えながら治療を始めましたが、実際治療が始まると治療に対して「あ、こんなもんなのか。」という気持ちも正直なところありました。
抗がん剤の治療って世間的に、すごく辛く苦しいイメージが大きいと思うんですが、今は副作用を抑えるために予め準備の為の薬を使用したりするんですよ。そうゆうのがあったおかげで、しんどいことはしんどいですが、イメージしていたよりはしんどくなかったです。その時、“抗がん剤=しんどい”というイメージが精神的なしんどさを増していたんだなということがわかりました。

僕自身、告知を受けて先ずインターネットで調べましたし、一番初めに服用した薬;イレッサ も、パソコンのキーを叩けば イレッサ訴訟※ のニュースばかりが飛び込んできていたので、治療が始まる前は本当に恐怖心しかありませんでした。
なのでネット上の正しい情報は大事ですよね。例えば、今ネット上にある情報と同じ情報が3年後もネット上に残っているのであれば、それは最新の情報ではないじゃないですか。最新の情報に常にアップデートしていくことが、患者やこれから治療を始める方にとって大事なんじゃないかなと思います。
先生方ともよくお話するんですが、ネットの中には正しい情報も誤った情報もあるけど、その判別をするのは一般人にはすごく難しい。難しいからこそ、「このサイトは信憑性がある」というのを明確にできれば、そこに集約されていくと思うんです。
※イレッサ訴訟・・・2002年に肺癌治療薬;イレッサは、世界に先駆けて日本で初めて承認されました。分子標的薬という新しいタイプの抗がん剤として期待を集め、また副作用が少ないという前評判が先行しました。しかし実際に使われ始めると重篤な間質性肺炎の副作用が起こり、死亡した人もいました。その遺族が、国と製薬会社に対して起こした訴訟です。

二宮先生(以下、二): 例えば国立がん研究センターや厚生労働省が出している情報は正確性が高いですが、医療従事者でなければその情報の存在にすぐに気付くことができないケースもありますよね。また久光選手のように、ご自身が想像するよりも意外と抗がん剤治療って辛くないんだ、というような主観的体験も、実際は人によって感じ方は異なる部分もあったりするので、ネット情報の取捨選択は難しいですよね。

久: 先生から薬を処方されるときって、きっと薬品名くらいしか言われないじゃないですか。僕が先生に初めて「シスプラチンを使いましょう。」と言われたときは、頭に“シスプラチン”という言葉しか残りませんでした。シスプラチンがこんな薬で吐き気止めはこんな薬を使いますよ、といった詳細な説明は入院するまで受けられなかったです。
それって仕方ないことかもしれませんが、病院で得られる情報をカバーできるように、わかりやすく薬剤師さんが伝えたり、わかりやすい情報がネット上にあれば、これから治療に入る患者さんの安心感に繋がるかもしれないと思うんです。

前向きに治療に臨む

久: 患者さんは、治療に対して後ろ向きに入ってほしくない。前向きに入るのと後ろ向きに入るのは全然違うと僕は思うので。
僕自身が治療に対して前向きに一歩を踏み出せたのは、サポーターやチームを含め多く方に応援してもらったのもありますし、僕より前に鈴さん(鈴村監督)が抗がん剤治療をして復帰に向かっている姿を見られたことが大きかったと思います。
僕が選手じゃなくサラリーマンだったらこんなに多くの人に応援されることはなかった。鈴さんと出会って鈴さんの背中を見て励まされることはなかった。
と思うと、他の患者さんにこのような場はあまりないんじゃないかなと思います。ですので、そんな患者さんにも勇気付けられるような場を、もし今後提供していただけるのであればそれは素晴らしいことだと思うし、それがあるかないかでは患者さんの治療に対する取組み方も変わってくると思うんですよ。
正直、何人かの癌患者さんが亡くなっていく姿をこの4年間で見てきましたが、逆に僕みたいに治療しながら元気に生きていく人もたくさんいるので、その方々に目を向けて欲しいなと思います。

−鈴村監督に先例があって久光選手は勇気付けられたとのことですが、鈴村監督の癌と診断された当時の背景や想いはいかがでしたか?

鈴村監督(以下、鈴): 普通でしたね。いたって普通。普通に練習して試合してましたからね(笑)。
僕は2012年12月に上咽頭癌を告知されたんですけど、シーズンがあったので練習も試合もずっと出てましたし、シーズンは3月までで、4月はオフ。そして5月またシーズンで、っていういわゆる僕の中での日常が走っていました。トレーニングして試合して・・の繰り返しで、ちょっと腫れがでてるなというくらいで痛みもないし何もないし。
リーグが1ヶ月半くらい中断の期間に入ったときがあって、その中断に入る直前の試合で怪我をして、怪我の治療の為に病院に行きました。そこで検査を受けている中で、クラブのチームドクターの紹介で神戸の大学病院に行き、そのままいろいろ診てもらって血液検査にもまわされて、まさかの癌でした。

僕が一番不安だったのは検査中のどんな病気か未だ知らされていない段階でした。あの時はすっごく不安で怖かったですね。
でもその後、チームドクターを通じて告知を受けたときは「そっか。」ってだけでした。初めてそこで「僕は癌なんだ。」とわかりましたが、全然実感は湧かなくて、ネットの記事を探してみたんですが亡くなったという情報が多いんですよね。自分のメンタリティーが下がっていたこともあり、マイナスの情報にしか目がいかないんです。なので、「これは(ネットを)見たらアカンな」って。
自分のニュースが報道に取り上げられてテレビや日刊スポーツに露出した時は、自分は明るいニュースになってやろうとしか思わなかったです。ニュースになるなら復帰した姿をと。実際、当時ニュースにでた際は、「必ず復帰します。」といって治療に入りました。
その気持ちを後押ししてくれた神戸大学の先生にはとても感謝しています。
先生は副作用やいろんな治療法をたくさん教えてくださいました。そして最後に、「質問はありますか?」と言われた時、咄嗟に「僕は現役復帰を目指していいんですか?」と伺ったんです。
そしたら、「現役復帰目指して頑張りましょう!」とさらっと言ってくれて。
実は引退しようと覚悟していたんですが、その言葉があって前向きになれて「復帰できるように頑張ります!」と胸を張って言えたんです。

周りから応援してもらえたというのも大きかったですが、自分が復帰するニュースを見てみんなが元気になってくれれば!という想いが癌を治す糧の全てでした。僕は口に出して動くタイプなので、「僕は必ず復帰する。」と公言して治療に入ってからも、どんどんそれを口にして、その過程で元気になっていったのもあります。

小さな目標を一つ一つ、着実に達成してゆく

久光選手に突然届いた一本の電話

鈴: ヒサ(久光選手)が抗がん剤を始めた2ヶ月前に僕は退院しているんです。とある人から聞いて、「まさか僕以外の選手にも(癌患者が)いたか。」と、すぐに彼に電話しました。
その時、僕はジョギングを始めた頃なんですよ。実際きつかったですね。ちょっと走ったら頭が真っ白になって、めまいがして、寒くなって冷や汗かいて、と、そんな状況でした。9月に神戸−湘南の対戦を控えていたので、7月に彼に電話した時言っちゃったんですよ、「俺は必ず復帰する。お前はその試合を見に来るって約束して。俺は絶対その約束守るからお前も守れ、絶対復帰するから」って。
ジョギングしてふらふらしてるような状態で今思えばむちゃくちゃな話ですが、復帰に対する気持ちは尋常じゃないほど強かったですね。

久: 僕は初めての抗癌剤治療を終えて、一時的に退院して家でゆっくりしていたんですが、鈴さんのおかげで、この試合の日は神戸に行かなきゃなんだよな!ってモチベーションになりました。何か一つ目標を持つってすごく大事だなと思います。

鈴: 僕はサッカーやフットサルをずっとやってきた経験からか、常に“目標がある人生”でした。目標がないとつらかったのですが、抗がん剤治療は「治す」「意地でも復帰する」という目標があったので“この一日、この一週間の何か目標をもつ”ことを大事にしていましたね。それをヒサにもわかってもらいたくて約束を交わしたんです。

家族との時間を共にすることが目標に

鈴: 僕は入院が長かったんですよ。放射線35回やりきるのと、シスプラチン併用していましたし。
ずっとスポーツをしてきて、仕事でも常に部屋に居続けることはなかったんですが、病気になって初めてずっとベッドにいて、味覚も無くなって、食欲もなくなって、口の中が口内炎どころか真っ赤に腫れ上がって。吐き気がするけど、必要な薬だけは1日2回飲んでいたし、ウィーダーインゼリーだけしか食べられなかったんです。食事ができない、痛い、吐き気がするなどつらい症状が重なったときはさすがに目標を見失いましたね。
そんな中でも、何を目標にしようかということは考えていました。
子供がいるので、子供が病院に来たら元気な顔で会おう。体がうまくいかなくてイライラするけど、奥さんに対してもちゃんと元気に接しよう。とか、小さい目標ですが刻みの目標をつくったし、明日はどんなことにチャレンジしようかとかも日々考えてました。目標やチャレンジが大事だと入院してすごく感じたんです。

二: ご家族の支えも大きいですよね。

鈴: そうですね。家族と仲間は頼れる人。存在も大きいかな。
自分にできることはなんだろうと色々考えた結果、僕はフットサル選手として試合に復帰することを次の目標にしました。復帰することで、明日から治療が始まるような人にも前向きに取り組んでもらえたらなという想いで。

治療の乗り越え方

鈴: 僕は治療で1月から1ヶ月くらい、完全に放射線治療でやけど状態がひどくなったのと同時に、抗がん剤治療もしていた頃が一番きつかったですね。食べられない、歯も磨けない、唾液腺も焼かれて唾液も出にくい状態のとき、水やゼリーを朝昼晩一つずつの3つしか摂取しなかったときはきつかったですね。なんの味もしないしひたすら気持ち悪いんですよ。3日間くらいはさすがに落ち込みましたけど、その後「無になろう」と思いました。頭が“復帰”で支配されると疲れちゃうので、「今はこの状態でもいい、無になろう。そしたら上がるだけだ。」と考えたら楽になりました。

二: バランスですよね。スポーツの怪我とかもそうですが、自分で改善できることと、できないことがあります。今頑張ったら頑張った分だけ良くなる期間と、頑張っても良くならないので休むことが大切な期間があります。

鈴: そのバランスは大事ですね。ずっと無になってるのもだめだと思うけど、その無気力な時間は、復活に意欲的な自分にとって大事な時期だったのかもしれない。
2月まではインフルエンザ流行のニュースを聞くたびにびくびくしたり、24時間抗がん剤打ちっ放しという状態にもなりましたが、ちょうどその時子供が産まれて、また新しい目標がつくれたので乗り越えることができました。
また、人に恵まれたのは大きかったですね。先生には言いにくいことも看護師さんに言えたので、看護師さんも大事だなと思います。みんながしっかり向き合ってくれたおかげで僕は明るくいられたし、完全にその状況を楽しもうと思えました。
人と比べて自分の治療は長いなどネガティブにならず、自分がしっかり医師と病気に向き合えられればいいという考え方でやってきましたね。

久: 僕が一番辛かった時期は、告知を受けてから治療に入るときですね。治療を受けたらやるしかない。でも、受けるまでは癌って何?と癌に対してわからないことだらけでした。このまま目をつぶったらもう起きられないんじゃないかと、日々自分の中に癌細胞が増殖していくようで恐ろしかったです。治療が始まったら、しんどいけどそこからどう対処していけばいいか、何かを変えればこのしんどい部分が変えられるかなと考えることができる。逆に何も治療してないときの方がしんどかったです。
しかし、(治療に入るまでの)1ヶ月ちょっとの間、不安や恐怖心を抱えた経験があったからこそ、一歩踏み出すときにあの経験があったから(乗り越えれるはず)、という思いになるんです。その瞬間は不安だけど、今は大事な時間だったと思えます。過ぎてしまえば過去だと思えるようになりました。

−その不安な時間に、あったら良かったのにな、と思えるようなサービスはありますか?

久: いろんな人たちの支援の場は色々あると思うのですが、治療に入る前はサービスがどんなものか、いつ相談したらいいのかなど明確じゃなかったですし、そもそも電話する気にもならならなかったというのが正直な気持ちです。自分のことはみんなわからないだろう、自分のことは自分が一番よく知ってるだろうと僕は思っていて、多くの方もそう思うと思うんですけど、だからこそ自分を一番信じてあげるために気持ちを整理する場所、自分の道を光照らしてくれる場所があればいいなと。
その場所は人それぞれ、正解はないと思います。

ただ、癌患者同士の情報交換はとても大事だと思いますが、その枠に閉じこもって、居心地がいいと思ってほしくないです。そこでの生活が一番でなく、日常生活を一番大事にしてほしいと思います。

「私、癌なんです」とどこにでも言えてしっかり受け止めてくれる社会があればどの場所でも自身の病気について話せると思うんです。「癌患者だから」ということで肩身の狭い思いをする事もありますが、「私たちにしかわからない。健康な人にはこの気持ちわかるわけないよね。」などのいろいろな想いをしたことを健康な人に伝えなきゃいけないこともあるだろうし、健康な人と協力して何かをやり遂げるということも必要だと思います。

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